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2004/10/21

ガンダムがマイナーだった頃

 ある一定の年齢以下の方々には想像もできないだろうが、「機動戦士ガンダム」というアニメ作品は初放映当時は「超」の付く低視聴率番組だった。

 「ガンダム」放送当時、私自身は多分、小学校4~5年生だった。

 幼児の頃からアニメは好きで観続けていたが、アニメの潮流は激しく移り変わっていったのだった。
 マジンガーシリーズの全盛期に翳りが見え始めた頃に突如アニメブームが到来したことが大きい。
 今でもマジンガーシリーズは大好きなのだが、世間一般では玩具メーカーとタイアップした「子供向けアニメ」としてしか認知されていないのが当時の世相だったように思う。

 子供向け番組はおもちゃを売るために存在する!
 それが現実だった時代。
 (今もそんなに変わりないか)

 そんな時代に突如アニメブームである。
 それはなんだったのか?
 良くも悪くも宇宙戦艦ヤマトの登場である。

 宇宙戦艦ヤマトも放映当時は低視聴率に悩んだ番組だった。
 その点はガンダムと同じ境遇だ。
 しかし、放送終了後から徐々にヤマトは盛り上がりはじめ、ついには劇場用映画となって大ヒットしたのだった。
 なぜ、盛り上がったのか?
 どんな層から支持されたのか?
 過去の人気アニメ作品と何が異なったのか?

 安直かもしれないが大人が支持したからだろう。
 大人といっても大学生などの年齢層だ。
 それまでのアニメ作品は玩具の売り上げという結果によって、幼児や児童からの支持率の高さを計ることはできた。
 しかし、それはあくまでも番組製作者やメーカーからの一方的な売りつけであって、アニメ作品そのものに対しての評価や分析といったものからは程遠いものだった。
 そこへ大学生のアニメファンの出現である。
 彼らは声をあげることをはじめたのだった。
 「視聴率は低くても良いものは良い」という声を社会に発信し始め、当初は異質なものとして扱われたが次第に無視できない声となっていった。
 ここではあえてヤマトのストーリー等には触れないが、アニメファンというものが存在し、それらが実際に番組制作側を動かしうるだけの人口とパワーを持ち始めたということを認識させたのがヤマトだった。

 テレビの再編集であったが劇場版「宇宙戦艦ヤマト」はかなりの興行成績をあげ、以降は各アニメプロダクションも「アニメファン」の反応をあらかじめ意識した内容の作品を連発するようになる。

 アニメブーム(松本零士ブーム)は更に高まりをみせ「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士達」とそれに続く「」銀河鉄道999」の2本の劇場用作品で頂点に達する。
 「あしたのジョー」や「ガッチャマン」などが再評価されはじめたのもこの頃。
 大人(大学生)の観賞に耐えうるアニメのオンパレード時代に突入したのだ。
 そこで“ガンダム”の登場である。
 硬派で遊び心に溢れる作品を発表してきた日本サンライズの送り出したアニメだった。

 「テレビマガジン」や「テレビランド」、「冒険王」などの子供向けテレビ雑誌では放送開始以前よりガンダムやガンキャノンといったモビルスーツが紹介されていた。
 ガンダムのスマートなデザインはコンバトラーVや闘将ダイモスの原色で彩られたスーパーロボットに慣れた小学生には地味に思えた。
 そして放送開始。
 不安は現実のものとなった。
 「これはロボットアニメじゃない・・・」
 ほとんどの児童がそう思ったはずだ。
 事実、私の周囲では「話の内容が暗くて訳わからない」とか「どっちが敵か味方なのかわからない」とか「同じ形のロボットがうじゃうじゃ出てきて気持ち悪い」だとか否定的な感想が大多数だった。
 視聴率は当然だが惨憺たるものだった。

 だけど私は違った。
 最初の頃こそ「ジオン公国ってなんだ?」、「モビルスーツってロボットと何が違うんだ?」、「アムロって本当にヒーローなのか?」、「ジオンと連邦ってどっちも悪者みたい」と悩まされたものだが、耐えに耐えてガンダムに触れ続けたおかげで、番組の中盤ころからは熱狂的なファンに変貌していた。
 特にアムロがガンダムを奪ってホワイトベースから脱走するあたりでは完全にアムロと自分を同一化してしまっていた。
 「あるある、頑張っているのに誰にも理解されない時ってあるよね。ブライトさんの方が悪い!」

 “ニュータイプ”という概念にもわりとすんなり馴染めた。
 次々に登場する敵側のモビルスーツも魅力的で、特にドムの格好良さは別格だった。
 シャアとセイラさんの出生の秘密。
 ララァとアムロの悲劇的な出会い。
 ザビ家の家庭内における確執。
 何もかもが魅力的な「ガンダム」
 夢のある作品ではなかったが、SFという世界に触れるきっかけを作ってくれたガンダム。
 リアルで細部まで構築された世界観という点では「ブレードランナー」に近いものも感じる。

 『こんな面白いアニメなのに観ない連中ははっきり言ってバカだな』と「自分だけのガンダム」に陶酔し、自分の先物買いの才能に酔っていた。
 しかし、不幸?は突如やってくる。
 ガンプラブームとガンダムの再評価だ。
 それまで『ガンダムは意味がわからん』とか言っていた馬鹿ガキどもがガンプラを買い漁り、親に連れられて映画化3部作に詰め掛けた。
 私は「自分だけのガンダム」が汚されたようで悲しい気分になった。

 いわゆる“昔からのファンのエゴ”でしかないのだが、“最近のガンダムファン”を私は蔑視していた。
 『どうせ、ストーリーなんか理解していないんだろ? モビルスーツの性能とかスタイルにしか興味がないくせに!』と怒り爆発状態。
 無邪気なガンダムファンにとってはとても迷惑な話である。

 ガンダムはその後も順調に人気を保ち続け、商業的にも大成功した。
 Zガンダム、ZZと続編が製作され、逆襲のシャアでオリジナルストーリーは一応の終焉となる。
 だが、いまだにガンダムは継続中だ。
 ガンダムSEEDなどは近年のガンダムものでは飛びぬけた人気を誇った。

 私の中でのガンダムはすでに終わっている。
 たぶんZガンダムで終わったのだろう。
 ZZや逆襲のシャアはガンダムファンのみを対象としているというか、ガンダムの世界観を理解していることを前提に製作されているような感じがして好感がもてなかった。
 既成の評価に胡坐をかいているようで、視聴者や昔からのファンへの誠意が無いように思えた。
 サンライズの『ガンダムなら何でもいいんでしょ?』という声が聞こえたみたいだった。

 ガンダムはウルトラマンシリーズと同じなのだろう。
 ガンダムという神話世界が一人歩きしているのだ。
 正にガンダム・サーガだ。
 宗教といっても過言ではない。
 “ガンダムだからしょうがないよね”になってしまっている。

 ガンダムという概念が強固な価値観を形成しており、その世界においてガンダムという冠名さえ付けばどんなことがあっても許されるみたいだ。
 ガンダムという響きは全てのアニメファンに対する水戸黄門の印籠なのであり、ガンダムと名が付けば全てが許される免罪符となっている。
 ガンダムは神棚に乗ってしまったのだ。

 ミュージカル調の人畜無害な超大作アニメばかり製作するディズニーはクソである。
 しかし、日本のアニメも狭いコミュニティの中でのみ興亡をくりかえす極めて閉鎖的で、先行きの見えない一部の趣味人のものになってしまっている。

 日本のアニメが「ガンダム」の呪縛から解き放たれるのはいつなのか?

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コメント

>ミュージカル調の人畜無害な超大作アニメばかり製作するディズニーはクソである。

これはちょっと言いすぎじゃないかなと思いました。
私はもともとディズニーは興味ありませんでしたが、最近になって見るようになりました。
すばり、子供を生んでからです。
それ以来、見るアニメを厳選するようになりました。
子供を持って以来、”子供と一緒に安心して見られるアニメ”が日本には少ないことに驚かされています。

ディズニーはまさに安心して見られるアニメのひとつだと思います。
こういうアニメが好きな人がいることもわかってください。

投稿: Ikumi | 2004/12/03 15:02

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