FIFAクラブワールドチャンピオンシップ2005
真の意味でのクラブチーム世界一を決める大会でもある。
「真の意味で」というのは今まで行われていたインタコンチネンタルカップというものがヨーロッパと南アメリカのチームだけで争われていたからだ。
確かにサッカーの歴史とレベルということだけで判断すれば、欧州と南米は他の地域よりも遥かに抜きんでている。
私は実力№1のサッカークラブチームを決めるという意義においてはインタコンチネンタルカップは間違ではないと思っている。
しかし、「世界一のクラブチームを決める」というのに、アジアやアフリカのチームがその存在すら無視されている状況には疑問を持っていた。
サッカーを文化として考えた場合、19世紀後半から現在に至るまで驚異的なまでのスピードで世界の隅々まで普及した。
これは驚くべきことなのであると俺は考えている。
人類の歴史が始まって以来、数多の宗教や思想がうまれ、それぞれの信奉者は己の信ずる教義を他の地域・異なる民族へ広めようとしてきた。
しかし未だ己の信ずる宗教や政治思想で世界を塗りつくした者は現れていない。
イエス・キリストが存在したとされる時代から約2000年経過したが、キリスト教徒の野望は未だに実現していない。
それは仏陀やムハンマドにもいえることである。
マルクス、レーニンも然りである。
全人類が一つの思想や宗教を共有することは不可能と思われていた。
しかし共通の娯楽を得ることについては人類は成功したといえる。
言わずもがなここで述べる共通の娯楽とは『サッカー』のことである。
サッカーは時として人々に歓喜を与え、余計なことであるが悲哀も感じさせてくれる。
仕事の能率を下げてしまうこともある。
没頭するあまりに凶暴な集団を生んでしまうこともある。
戦争の原因になったこともある。
戦争を中断させてしまったこともある。
サッカーを必要以上に神聖視することに私は賛同しない。
だがサッカーが人類を一つに結ぶ共通の言語として認識されていくことについては疑問を挟む余地は無い。
もっと、もっと、サッカーは尊重されてもいいだろう。
クラブワールドチャンピオンシップはワールドカップと同等の意義を有する大会だということを関係者は認識しなければならない。
おそらくサッカーが浸透していない国や地域はこの地上に存在していない。
今回のFIFAクラブワールドチャンピオンシップ2005は画期的な試みである。
なぜなら今大会をもって初めて世界中のクラブチームに世界一になるチャンスが訪れたのだから。
実際に大会が始まってみないとわからないが、このままでは試合内容云々以前に、開催前の雰囲気作りに大丈夫なのか?と人事ながら心配になってくる。
日本テレビをはじめとする大会スポンサーは本当に大会を成功させる気があるのだろうか?
日本のクラブチームが出ていないからって手抜きの運営は勘弁してください。
記念すべき第1回大会のホスト国なんだから、もうちょっと煽ってほしいものです。
企業の広告媒体とだけしか考えていないのが見え見えです、トヨタさん。
それにしても相変わらず日本テレビは思考回路が停止しているようだ。
いつまでも屑芸人の明石家さんま頼みの番組つくりは止めて欲しい。
さんまが出ると五月蝿くて試合の雰囲気が台無しになるんですよ。
必ず“副音声”で海外の実況か会場の音声のみを選択できるようにしてください。
さんま嫌いのサッカーファンが大勢いることに日本テレビはいつ気付くのだろうか?
| 固定リンク
「サッカー」カテゴリの記事
- Great Football players(2009.02.28)
- カテナチオ World Cup 1982(2006.03.25)
- マラドーナの言葉(2005.04.17)
- Liverpool FC がMan.Uを撃破!(2009.03.15)
- なんでマテラッツィが・・・・(2006.07.14)
「スポーツ」カテゴリの記事
- Great Football players(2009.02.28)
- 燃えろ!Formula One、F1(2009.03.29)
- フレディ・スペンサーの思い出(2005.03.17)
- 三冠馬 ミスターシービー(2005.10.23)
- 日本車敗北(2007.09.25)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント