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2006/04/25

機械伯爵

 人間が人間でなくなったら、人間の心はどうなっちゃうんだろう?

 『銀河鉄道999』には不死身の肉体を手に入れたことによって、同族に対する共感というものを全く失ってしまった“機械人間”が多く登場する。

  Galaxy_express_999

 上の画像の「機械伯爵」はその典型だ。なぜなら、

彼の趣味は人間狩りなのだから。

 尽きることのない生命を手中に収めたことで、通常の人間を超越した存在になったとでもいうのだろうか?

 機械人間とは何なのだろう? 元々は人間だったのだからサイボーグなのかもしれない。 生身の人間だった頃の記憶だけを宿したアンドロイドなのかもしれない。

 どっちにしろ『銀河鉄道999』に出てくるほとんどの機械人間は、生身の人間に対して強い優越感を持っている。

 改造を繰り返したことで、時間を操る魔女となってしまった「リューズ」は人間の外見は残していた。しかし、「機械伯爵」などは最高級のボディなのかもしれないが、人間だった名残りは皆無だ。

 機械人間が優れた能力を追求する行いは、意識的に人間らしい特徴を捨て去ろうとすることも求められるのかもしれない。

 生命科学の究極の目標は、生命体を作り出すことにある。

 『ブレードランナー』では人間以上の身体能力と知能を持つアンドロイド〝レプリカント〟が登場していた。

 機械人間とレプリカントには大きな違いがある。

 元々人間だったはずの機械人間は、不死身の身体を入手したことで、人間的な感情がどんどん欠落していった。

 逆にレプリカントはアンドロイドであるが故に、生まれながらの「完成体」である。レプリカントには人生がない。経験や想い出が存在しないのだ。人為的に植えつけられた記憶しかない。だからこそレプリカントは人間らしくあろうとした。人間臭い行為を好んだのだった。

 近い将来、機械人間とまではいかなくても、人工の素材を体内に埋め込むことで能力を飛躍的に高めることは可能になるだろう。

 不死身ではないが、限りなく「死」の危険性が低くなる日が来るのかもしれない。

 機械の身体が『功殻機動隊』で描かれた世界のように、当たり前のごとく一般に浸透しているのならいい。

 しかし現実は厳しいと思う。

 全ての人間に、平等に不死身の肉体が行き渡るとは思えない。

 機械の身体を得ることができる者と、生身のままの者に区分されるはずだ。

 人間は機械の身体を手に入れた時、生身の人間に対して優越感を持たないでいることが出来るのだろうか?

 人間狩りを楽しむ機械伯爵と、賞金稼ぎから逃げ廻るレプリカントはどっちが人間らしいのだろう?

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