何かが変わった瞬間
高校生の時に修学旅行で広島と京都に行った。
広島では定番の平和記念館に行ったのですが、なぜか昼食は平和記念公園で弁当を配布されて食べることになったのでした。(雨天だったら何処で食べていたのだろう?)
公園のベンチで数人の友人と弁当を食べていると、薄汚い身なりの男性が近づいてきました。
男性はしばらくすると、
高校生がゴミ箱に捨てた食べ残しが詰まったままの弁当を、ゴミ箱から拾い上げ素手で摘んで食べ始めたのです。
呆気にとられてしまいました。
私達の生活圏域で、ゴミを漁って食べている人間など見たことがなかったからです。
男性は食べ残しを黙々と食べ続け、それを食べ終わるとあたりを見回し、食べている最中の学生の弁当に手を伸ばしてきました。
幸いにも?私は被害を受けませんでしたが、その光景を見せつけられて、一気に私は食欲を失ってしまいました。
「この人達は何者なのだろう?」
顔は日焼けしきって真っ黒で、埃のような油のような、何ともいえない汚れがこびりついています。
着ているものは一応背広のようなものなのですが、あちこち破れて穴だらけで、所々ひどく色あせていました。
私達の日常生活とあまりにもかけ離れている人達なので、最初は外国人かと思いました。
珍しさもあって、その男性を見続けていると、男性は私の視線に気づき「ジロジロ見るんじゃない!」と語気を荒げて威嚇してきました。
日本人だったのです。
「知らない土地には様々な人がいるもんだな」とその時は思いました。
その程度でした。
次に訪れた京都では自由行動の日程があり、私は仲の良かった友人と2人で目的地に移動するために、京都駅で地下鉄乗り場を捜し歩いていました。
駅の構内をウロウロしていると、一人の老婆が声をかけてきました。
「ずっと会っていない息子に会いに行きたいけれど電車賃が無い。少しお金を融通してもらえないか?100円でいいから・・・・」
何のことか、わけがわかりません。
老婆は小柄で、ひどく哀れで弱弱しく見えました。
友人は財布を取り出し、老婆にお金を渡そうとしました。
しかし、お金を渡そうとしたその瞬間、近くにいた掃除のおばさんが「お金を渡しちゃ駄目だよ!その人誰にでもそう言ってお金を貰おうとするんだから!」
私と友人は老婆を残してその場を立ち去りました。
立ち去ろうとする私達を見つめる老婆の表情は、本当に寂しそうで、なんともいえない嫌な気分に私はなりました。
老婆の話は、掃除のおばさんの言うとおり真実ではないのでしょう。
今思い出してみると、私が広島や京都で出会った人々はいわゆる浮浪者で、ホームレスと呼ばれる人達と生まれて初めて遭遇した瞬間だったのです。
大げさなようですが、この修学旅行によって私の中の何かが変わりました。
自分自身の生活を後ろめたいとは思いませんが、ごく普通に私達が暮らしている陰で、日本国内には外国のニュースに出てくる、スラム街で生活しているような人が実在することに驚きを覚えました。
しかも、平和都市である広島や、国際的な観光都市としての京都の中で、ゴミを漁ったり、他人から金を恵んでもらって生きている人間が公然と存在することの驚き。
「日本は豊かだといわれているし、発展途上国からは羨望の眼で見られている。だが、少し視点を変えて自分達の足元を見てみると、繁栄から取り残された人達が大勢いるじゃないか?これで豊かな国だと胸を張って宣言できるのだろうか」
『タクシードライバー』のトラビスじゃないけれど、若気の至りで「なんとかしなくちゃいけない!」と思ったものです。
世の中には私が知っている以上に、極限の状況で生きている人々が大勢いるのでしょうが・・・・
じゃあ自分には何ができるのか?
方法は見つかりません。
現実の私は何もできていませんが・・・・
だけど、今のまま何も変わらないで良いわけないなと思うのです。
日の当たらない世界に関心を向け、多くの人が問題意識を持つようになれば、少しずつ世の中は良い方向に変わるのかもしれません。
世間に無関心でいることを止めるだけでいいのかも。
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