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2006/10/14

我々は何処から来たのか?

 ある日曜の朝の事。

 我が家に見知らぬ中年の女性が訪ねて来ました。宅配便かと思って、あわててハンコ持って玄関に飛び出した。

     Christ_kanban16

 パジャマ姿で私が応対すると、ひどく恐縮して「お休み中でしたか、お邪魔してすみませんでした」と挨拶してきました。

 挨拶を終えると女性は、

 「私達は聖書の研究をしている者なのですが、この世の中の全ての生物には、造り主がいるということをご存知ですか?」と質問をしてきました。

 なんだかよくわからない展開に私が戸惑っているのにも関わらず、女性は自分のペースで話を続けます。

 「聖書にはどのようにして生物が誕生したのかが、解りやすく書かれています。この小冊子は聖書の内容を大勢の方に知って頂きたいのでお配りしているものです。是非お読みください」

 私は呆気にとられ、女性の言うことに対してうなずくだけです。

 一通り説明をし終えると、女性は小冊子を2冊手渡してくれました。

 最後に女性は、「お休み中のところお邪魔してしまい本当に申し訳ありませんでした」と挨拶して帰っていきました。

 女性からもらった2冊の小冊子の特集は、一つが“今は「終わりの日」ですか”で、もう一つが“だれかが創造したのでしょうか”というものです。

 ようするに、訪ねて来た中年女性は宗教の勧誘なわけで、教義の普及のために小冊子を配布して歩いているのですね。

 新興宗教の冊子がポストに投げ込まれているなんて珍しいことではありませんし、勧誘のために信者が訪れることもありふれた光景です。

 普段なら宗教団体の小冊子なんて読みもせずに捨ててしまう私ですが、特集の内容に興味を惹かれたので目を通すことにしました。

 「生物には創造主がいる」という女性の言葉が引っかかったからでした。

 女性の信仰する宗教団体では進化論を否定する立場をとっているんですね。

 私としては標準的な科学教育を受けてきましたので、進化論を普通のこととして受け入れてきました。

 〝世界は神が創造した〟とする、いわゆる“天地創造説”を信じるよりも、進化論のほうが遥かにまともな考え方だと思ってきましたし、今でも基本的には進化論を支持する立場に立っています。

 しかし、進化論を学ぶ機会は沢山ありますが、天地創造説を学ぶ機会は滅多にありません。

 っていうか、宗教団体に入信でもしないかぎり、天地創造説を真面目に聞くことはないでしょう。

 宗旨替えをするつもりはありませんが、天地創造説というか、聖書を信奉する人達がどんな根拠で神の存在を肯定しているのかを知りたくなりました。

 小冊子では様々な生物の生態を取り上げ、進化論の矛盾と、生物の発生には神が設計した証拠が数多くあると述べています。

 まあ、進化論を否定する為なので、進化論に都合の悪い事例ばかり並べて、聖書の矛盾点を意識的に控えているのだと思いますが・・・・・

 進化論の否定理由として、賛同するわけではありませんが、非常に興味深い記述がありまして、私は、今ちょっと気になっていることがあります。

 まず、進化論そのものを復習してみます。

 チャールズ・ダーウィンが自著『種の起源』で提唱した説は、“どの生物も独特な創造物ではなく、少数の生物の直系の子孫である”、つまり、原始の単純な生命体が長い時間をかけて変体を繰り返し、環境に適合した生命体が生き残って現在に至るというものです。

 海の中で最初の生命体が発生し、それが魚となり、やがて魚は両生類となって陸に上がり、両生類は爬虫類となって繁栄を極め、しだいに爬虫類から進化した哺乳類が地上を支配したというもの。

 誰でも知っていますよね。

 さらにダーウィンの説を強化するものとして、「大進化」という考え方があるそうで、どんな教えかというと、①突然変異は新たな種を作り出す、②自然選択は新たな種の誕生を導く、③化石は生物進化の証拠である、という3つが主な内容です。

 狂信的な聖書根本主義者以外は、上記のような進化論に疑問を持つことは無い、と思っていたら、なんと進化論を支える土台から揺らぎ始めているらしいのです。

 ひらたくいえば、進化論の研究者達が進化論を証明することが困難な状況になってきているのです。

 たとえば突然変異によって奇形の動植物が生まれることがあります。

 急激な環境の変化や、放射線や化学物質の影響などで、通常の姿とは異なった形で生まれたり、環境に適合させるために姿を変える生物がいます。

 しかし、その奇形生物は突然変異体であっても、あくまで元々の生物が普通とは違う姿で生まれただけであって、「新種」の生物が発生したわけではありません。

 突然変異体が新たな種の発生のきっかけになるとしてきた科学者ですら、突然変異体の可能性に疑問を持ち始めているというのです。

 20世紀中ごろから研究者達は人為的に突然変異を誘発して、新種の生物を暮らしに役立てることを研究してきましたが、ある著名な生物学者によると「莫大な資金を投入して、放射線照射によって生産性の高い新種の品種を育てる試みは全くの失敗だった」というのです。

 「1980年代には、世界中の科学者の間の希望や高揚感はしぼんでいた。西洋諸国において、独立した研究分野としての突然変異育種は放棄された。ほとんど全ての突然変異体が『負の選択価値』を示した。つまり死んでしまったり、野生種より弱かったのである」とも研究者は語っています。

 ある科学者は結論づけています。

 『突然変異によって〝植物あるいは動物の〟原種が全く新たな種に変わることはあり得ない』。

 なんだか頭がこんがらかってきます。

 小冊子の内容を鵜呑みにはできませんし、今でも私が進化論者であることに変わりは無いのです。

 だけれども、当たり前のこととして信じてきた進化論が、何とも頼りない理論武装で成り立っていることに落胆してしまったのも事実です。

 進化論にしろ、聖書の天地創造説にしろ、誰も証明できないことであるのは共通しています。

 今の段階ではどの説も“仮説”でしかないのです。

 科学というものに関しては、絶対的な真理が求められます。

 しかし生物の誕生の起源ということに限定して考えると、真理よりもそれぞれの人の心の持ち方、自分なりの真理の基準をどこに置くのか、ということに重きを置いてもいいんじゃないかと思えます。

 生物の発生を解明するのには、もう少し時間が必要なのかもしれません。

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